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現役留学生としえさんの留学日記


米国オハイオ州ケントにあるケント州立大学で院生活を送る現役留学生のとしえさんが不定期日記を書いて下さることになりました。留学生のキャンパスライフやプライベートってどんなものなんだろう? という疑問のある方はこのサイトを頻繁に覗いてみて下さい。とっても楽しい文章です。

■日記スタートの月 = 5月分の日記はこちらです!
■免許、日本食、授業、炊飯、洗面所騒動、ヤキトリ・・・、6月分の日記はこちら!
■ディナーパーティー、ルームメイト、車・交通事情、ショッピング・・・、7月分の日記はこちら!
■美容院、オリエンテーション、免許更新、ナイヤガラの滝・・・、8月分の日記はこちら!
■連続テロ事件について、アイスホッケー観戦・・・、9月分の日記はこちら!
■食欲の秋、ラジオ出演、パンプキン彫りコンテスト・・・、10月分の日記はこちら!
■コロンバスで友人と再会・・・、11月分の日記はこちら!
■冬休みを2週間後にひかえて、合わないメガネでドライブ・・・、12月分の日記はこちら!
■冬休み・カルガリー旅行記(連続モノ)、1月分の日記はこちら!
■アメリカの成績算出法、中国歴のお正月・新年会・・・、2月分の日記はこちら!
■スピーチパソロジー、セントパトリックス・デイ、ケンタッキーの友人を訪ねて・・・、3月分の日記はこちら!
■2度目のラジオ出演で・・・、4月分の日記はこちら!
※感想・質問・励まし等、としえさんへのもお待ちしています。

#49. (2002年5月23日) ●ルームメイトとのお別れ

授業がある時は、「何曜日にこの授業があって…」というふうに毎日を過ごしていた ので、1週間の感覚は実にはっきりしていました。ところが、休みに入ったとたん、 単調な毎日を過ごす余り今日が何曜日なのかわからなくなってきます。なんと情けな いことか…。さっきのこの日記を書くのに、日付が1週間もずれて描き始めていまし た。

さて、1年間一緒に暮らしてきた友達、兼ルームメイトのルビーちゃんが、昨日この アパートを出ていきました。先ずはヴァージニアに住むおねーさんのところへ行くの ですが、空港までの道のり、二人ともいつもより無口で(ま、道が混んでたので、安 全運転ができて良かったのですが)、ちょっとしんみりしてしました。空港ターミナ ルの入り口で荷物を下ろしてから、ハグハグ…。私は少し涙が出てきましたが、泣き 出すと止まらなさそうだったので、ぐっとこらえて、「またすぐに会えるね」と言っ て別れました。彼女はカリフォルニアで働くオファーをもらっているので、多分そこ で働く、と言っています。台湾に置いてきている彼氏とのこともあるのですが…。来 年の夏には、ボーイフレンドと二人で遊びに行こうと話しています。今はインター ネットもあるし、長距離電話も安くなったし、「永遠の別れ」というのでもないの で、ちょっと悲しいですが、彼女の前途を祝福して見送ってあげました。ボーイフレ ンドも含めて仲良くできたので、良かったです。先週末は3人で映画を見て、日本料 理の「鉄板焼き」を食べに行き、楽しく過ごしました。この二人に出会って、本当に 楽しい1年間であり、そして同時にこの二人に大変励まされた1年間でした。

彼女が去った後なのですが、これが悪夢のような…というのは大げさですが、彼女は 自分の二つのスーツケースに入らなかったものや、送り荷物に入れなかったものを全 て置いて行ったのです。それは食品や服や化粧品、シャンプー類に至るまでです。あ りがたいと同時にすごい量です。私も引越しをします。今回は学校から少し離れた場 所になります。今までも何回かに分けて荷物を運んでいるのですが、全然部屋の中は かたづきません。しかも台所のものをリビングルームに広げていて、うんざり状態で す。やはり、寮から移って来た時とは大違いに物が増えています。とにかく明日の 朝、車に乗るだけの荷物を積み込むつもりです。最終的にアパートを出る日は来週の 月曜日、ということになっていますが、週末まるまるこの引越しでつぶれそうです。 ボーイフレンドの急な出張のために(南米のチリへ行くのです)引越しが延び延びに なってる、というのもあるのですが、こうして一人になってしまうと、何をするのも なんだか気が乗らず、全然かたづかないのです。毎日図書館で借りてきた日本語の本 を読みあさってます。

とにかく、明日はボーイフレンドがチリのワインをおみやげに買ってきてくれること になっているので、それを楽しみにして引越し作業にいそしみたいと思います。

#48. (2002年5月17日) ●アーミッシュ

今月は書きますよ。なんせ暇ですから。

今朝、ルームメイトのご両親はテキサス州のサンアントニオの知り合いのところへ向 かって出発されました。夕べのうちに「お別れ」の挨拶をしたのですが、「娘の卒業 をとても誇りに思う。彼女の名前が呼ばれたとき(間違った名前でしたが)、思わず 涙が出てきたわ」とお母さんはおっしゃてました。お父さんは、「もう寝巻きを着て しまったから、挨拶するには失礼」と、部屋の外には出てこられませんでしたが、 「新婚旅行には、台湾へ来るって約束よぉ」と部屋の中から念を押されました。

馬車

で、水曜日には、車で1時間半ほどのところにある「アーミッシュ・カントリー」へ 一緒に行かないか、と誘われました。私はまだ行ったことがなかったので、喜んでお 供しました。ルームメイトは、去年台湾から友達が来たときに一緒に行ったようで す。さて、「アーミッシュ」って何でしょう?これはキリスト教の一派なのですが、 主にペンシルバニア州を拠点として生活している人々のことです。オハイオ州にもた くさんその集落(?)があり、私たちが出かけたところのように、観光化されている ところもあります。アーミッシュの人々は、決して電気機械で動くものを使用しませ ん。うそだと思うでしょ、この時代に。うそではありません。彼らは、テレビも、電 話も、車も持ってません。電子レンジもでしょうねぇ。移動手段は「バギー」と呼ば れる一頭立ての馬車か、自転車か、徒歩です。だから、普通の自動車道路を平気で馬 車が走ってるのです。彼らの服装も特殊です。なんか学校の制服みたいにみんな同じ 格好なのです。男性は黒のつば付き帽に黒のサスペンダー付きズボン。そして、決し てひげを剃りません。女性は白っぽいボネットと呼ばれる帽子をかぶり、簡素なデザ インのブラウス、それとこれまたつりつきの長いグレーか青っぽいスカートをはいて います。これは老若問わず、みなさん同じ格好。昔聞いた話では、家に鏡も置いてな いとか。鏡を見れば、人間誰でも着飾りたくなるからです。そりゃ、ひげも剃れない ですね。彼らは「シンプル」な生活を目指してるのです。聖書が、シンプルな生活 と、教会と世界とのはっきりした分離を説いていると信じているからです。つまり自 分たちの教会は、他の世界とは違うのだと。これは125年も続いてることで、この21 世紀のテクノロジーの時代に、信じられないです。これは、彼らが自動車自身が邪悪 なものであると考えてるのではなく、車のある生活は家族のつながりを破壊してしま いがちだと信じているからです。

私達は、その「カントリー」と呼ばれる場所の大通り両横のいろいろなお店をうろう ろしました。アーミッシュの人たちは、家具や手作りジャム、ろうそく、そのほか 色々の食品なんかを作って売ってます。観光化されて自分たちが「みせもの」みたい になるのはいやで、村を出ていった人もいるようですが、そうやって「事業」を行っ ている人もたちも大勢いるわけです。しかし、みやげ物やで売られているものが全て アーミッシュの人たちの手で作られているわけではなく、私達は多くの「Made in China」を発見しました。ちょっとがっくりです。店に入るといかにもアーミッシュ の格好をした「店員さん」がいますが、彼らアーミッシュではないでしょう。私が買 物をした店なんか、コンピューター使ってましたから。あんまりおとぎの国に来たよ うな気分でいると、現実をつきつけられます。ある店で、オハイオメープルシロップ を見つけて、「これもMade in Chinaやったりして…」とびんの底をひっくり返して 冗談を言ってると、そばで一人のご婦人が大笑いしてました。彼女はどうやらツアー バスで来た観光客でした(ってここへ来る人はみんな観光客でしょうが…)。それ で、私たちのところへ近づいてきて小声で「ガイドさんが言ってたけどね、Chinaの ものばっかりなんだって。アーミッシュが作ってるわけじゃないのよぉ」と。観光客 も割りきって、観光を楽しんでるわけです。

近くのスーパーへ寄ってみる事にしました。表に「自動車」の駐車場もありますが、 横手は「馬車」の駐車場です。スーパーはごく普通のスーパーでしたが、入ってすぐ のところに服地屋さんがあり、数人のアーミッシュの女性が世間話をしたり、買物を していました。しかし、置かれている服地の色はアーミッシュの色、つまり水色や薄 い紫色、決して柄物はありません。見ててもつまんないです。デザインも同じものだ し。それと彼らは、ボタンも使わないのかな、と思いました。一人の女性のブラウス は、前の部分が糸でただ縫い合わされているだけでした。その店に14〜15歳といった 感じの女の子がいました。その子を見て思ったのですが、いくら家族の宗教、しきた り、文化かもしれないけれど、少なくとも人間なんだから、きれいな色のミニスカー トはいてみたいなーとか、Tシャツって楽そう、とか思わないんでしょうかねぇ。真 夏にあの格好は、結構辛いと思います。彼らのことを不幸だとは思いませんが、そう いう反発する気持ちって生まれないんでしょうか?すっごく興味があります。

このスーパーに入るときに車に乗ったアーミッシュの家族「らしき」人たちを見まし た。「あ、車乗ってる!」と私達は騒ぎました。それに、帰路でもアーミッシュ「ら しき」服を着てるのに、家に何台も車を持ってる人も見ました。例の服地屋さんの店 員も電話でしゃべってましたし…。だから私は、アーミッシュにもやっぱり文明の波 が押し寄せていて、今では「えせアーミッシュ」もいるのだな、と思いました。とこ ろがこのことをボーイフレンドに言うと、「その人たちはアーミッシュじゃないの。 アーミッシュは絶対電気を使わないの。似てる人たちだけどアーミッシュじゃない」 ということです。彼は「キリシタン」なので、こちらの宗教については彼の意見に賛 成することにしました。なんかややこしい。そういう説明書きは、村にはなかったで すよ。「ここが違う!」とかいう看板かなんか作って欲しいです。「似てるけど違う !ワライキノコとふつうのキノコ」みたいにね。私はろうそくをいくつか買いまし た。明かに手作り、とわかるろうそくではなく、量産してそうな、しかも割安のほう を選びました。これが現実です。でも今度行ったら、あのごつごつした手作りろうそ くを買おうかな、と思ってます。

#47. (2002年5月13日) ●卒業式

先週の土曜日、ルームメイト、そして仲のいいお友達であるルビーちゃんの卒業式で した。当日は好天に恵まれ、それはそれはよい日でした。当日彼女は先にチェックイ ンしなければならないので、私がご両親を会場まで連れて行くことになりました。最 初は会場まで歩いていこう、ということになっていたのですが、彼女のおかーさんが 「慣れないハイヒールで歩くのはいや!」とおっしゃるので、じゃ、車で行きます か、と言うことになりました。9時ごろにボーイフレンドが来ることになっていたの で、それを待ってから出発。彼の車はアパートの来客用駐車場に停めなければいけな いので、結局私の車で行くことにしました。

といっても会場まで車で3分ほど。駐車スペースもなんとか見つけて会場のコンボ ケーションセンターへ向かいました。ここは普段、バスケットの試合なんかがあると ころです。会場に着いてからは今度は席探し。4つつながって空いているところがな くて、仕方なく会場の後方になる、椅子じゃなくて硬いベンチ席になってしまいまし た。これだと、卒業生を後ろから見ることになり、あんまりいい席じゃないのです が、無いよりましです。

卒業式は3回に分けられます。土曜の午前と午後、そして日曜の午後です。土曜の10 時からの分は、文系の中でも専門技術系の学科(建築、図書館学など)と美術、そし て科学技術系の学科の学士、修士、博士号が授与される式です。スピーチパソロジー は専門技術に当たります。式が始まると例のガウンとキャップの博士たちが先頭とな り、今回博士号を取った人、修士の人、そして学士と続きます。基本的にガウンと キャップは皆同じですが(黒)学士はただガウンだけ、修士はなんかスカーフみたい なのを後ろにたらしてます。これは大学のカラー、黄色と紺ものでした。博士もなん か別のものを着けていたような気がしますが、人数が少ないので余り覚えてません。

実は私はアメリカの大学の卒業式に出席するのが今回が初めてだったのです。前に別 の大学で修士号を取ったと、日記で書いたことがあるかもしれませんが、そのときに は卒業式に出席しなかったんです。なんでなのかよく覚えてません。すぐに日本へ帰 りたかったのかなぁ。卒業証書はあとで日本に送られてきました。ここの大学、オハ イオ大学のカラーは「深緑色」で、ガウンも同じ色で、他とちょっと違うのです。今 となってすごく後悔しはじめました。ま、私も来年はここケントで卒業できる(?) わけだし、そのときまで楽しみは取っておきましょう。

卒業式

さて、式が始まり、「プレジデントの入場です」と聞いたときボーイフレンドと二人 で「ブッシュやったりして…ちゃうよな、大学のプレジデント」と冗談を言い合いま した。実は先週、実際にブッシュ大統領がオハイオ州に来ていたからです。前の大学 オハイオ大学は、前大統領クリントンさんの奥さん、つまりヒラリークリントンさん が「3回」も来られた大学で、私も1度拝見しました。しかも1998年の卒業式にはス ピーチに来られたみたいです。私は出席してないので見てません。だから、ブッシュ さんが来るのもあながち冗談ではないというわけです。というわけでプレジデントの 話が始まり(ケントのプレジデントは女性です)、そのあと事務長の長〜い祝辞があ り(本当に長かった。彼に「3分間スピーチ」って本を贈ろうかと思ったくらいで す)、そしていよいよ卒業生に卒業証書が一人ずつ渡されます。卒業生が舞台両脇の 入り口に二手に分かれ、そこから入場し、名前札みたいなようなものを名前を読み上 げる役の人に渡します。二人がうまく交互に卒業生の名前を読み上げていき、卒業生 はその先にいる「誰か」と右手で握手をし、左手をクロスして、その横に立ってる人 から「仮」卒業証書を受け取ります。本物は後で送られてくるのです。中央のスロー プを降りて、もとの自分の席に戻ります。名前を読み上げる人も、全員の名前を正確 に読めるわけではないので、読み方がわからない場合は一瞬のうちに「なんて読むの ?」と尋ねてるみたいです。私のルームメイトは、英語名は「Ruby」ですが、本名は 「Tsu-Hsuen Cheng」といい、発音は「ツーシュエン・チェン」みたいな感じです。 「H」から始まるのに、なんで「シュ」って発音なのかわかりません。苗字は「程」 さんです。私達は、「なんか変な発音やったけど、3音節の名前やから、多分ルビー やろう」と判断しました。あとで聞いたのですが、彼女、その名前を読み上げる人に 3回も自分の名前を言ったそうです。でも、まあまあのでき、と言ってました。 「私、もっとひどい名前で呼ばれたことある」って言ってましたから。私の名前もア メリカ人には正確に発音してもらえません。このことについては長くなるので、また 次回に。

卒業式

この式の後、レセプションがあると言うことで会場に行ってみると、お菓子とコー ヒーが置いてあるだけのものでした。先生なんかとお話したりできるのかな、って 思ってたのですが期待はずれ。コーヒー一杯ずつ飲んで、昼ご飯の場所へ行きまし た。昼はメキシカンのお店へ行きました。私もボーイフレンドも、そしてルビーちゃ んもお気に入りの場所です。飲み物はお祝いということもあり、みんなマルガリータ を注文したのですが、ルビーちゃんのおとーさんはテキーラを注文しました。彼は1 年ほどカリフォルニアにいたことがあって、その時によくテキーラを飲んだそうで す。食事中何回もこのおとーさんが乾杯をするので、これって文化の違い?などと思 いました。やっぱり男同士ってことで、おとーさん、私のボーイフレンドにいろいろ 話してました。まるで彼がルビーのボーイフレンドみたいに。とうとうボーイフレン ドもテキーラを勧められ、おとーさんはテキーラ2杯目…。すっごくご機嫌でした。 面白い人です。



帰宅後、ルビーちゃんにお祝いを渡しました。カードと、ガウンとキャップを着た熊 のぬいぐるみと(彼女これが欲しかったそうです。よかった。)、彼女お気に入りブ ランドのボディーローションやソープのセット、それと私が作った「ケント思いでの 場所」額入り写真。デジカメとパソコンで作りました。どこにも売っていないオリジ ナルです。

そんなわけで卒業式無事終了。また暇な日が始まります。ではまた。

#46. (2002年5月10日) ●「May 4th」事件(1970)

あ〜、暇です。ルームメイトとご両親は朝からどこかへ出かけてしまいました。私 は、この1年間勉強ばかりしていて、ろくに好きな本も読めなかったので、図書館で 「日本語」の本を借りてきて読んでいます。Kentに来て2年近く、前の学校でも1年半 居たんですが、今回ぐらい日本語が読みたくなったときはありません。Kentの図書館 には日本語の小説も置いています。今回初めてじっくり見てみたのですが、かなり古 いです。私が借りてきた本なんか、昭和46年初刊ですからねぇ…。ページも茶色く なっていて、実は2ページほど、ちょっとですが破いてしまいました。すいません。 多分の紙の古さでしょう。

ちょっとこれを機会にまじめな話を書きましょう。私の通うKent State University はある意味で全米で大変有名な大学です。液晶研究の最高峰、というのもあるのです が、歴史的な事件があった場所なのです。1970年、その当時全米の学生の間で盛んで あったベトナム戦争への反戦運動が、ここKentの学生の間でも盛んでした。この騒ぎ を鎮圧するためにOhio州軍(National Guard)が送りこまれました。それでも騒ぎは 治まらず、ついに28人の州軍兵は反戦を唱える学生たちに発砲したのです。13秒間の 発砲だったそうです。5月4日(May 4th)の正午を少し過ぎたころのことです。この 騒ぎはこの日を含め4日間にわたって繰り広げられ、8名の負傷者、1名の身体麻痺 者、そして4名の死者を出し終焉しました。この悲劇のあった場所は「May 4th Memorial」(メイ・フォース・メモリアル)と同時に今は駐車場になっていますが、 彼ら4名がなくなった場所はその部分だけ各人の名が彫られた稗になっています。夜 には稗の四方に電灯が灯されます。亡くなったり、負傷した人は、全てが反戦運動を していた学生ではありません。中にはその場所を通ってクラスへ向かう人もいたので す。その中の一人、サンドラ・シューワーさんという、当時大学3年生だった学生も 流れ弾に当たって亡くなりました。実は彼女、私と同じスピーチパソロジーを勉強する 学生だったのです。この話を聞いたのはつい最近のことです。先生の一人が、「彼女 は私たちの仲間だったのよ」と話してくれました。全然知りませんでした。それを聞 いてから、今まで以上にこの場所を通ると自然に涙ぐんでしまいます。私は歩いて帰 るとき必ずこのサイトの横を通って帰ります。彼女もここが通り道だったんでしょう ね。

毎年5月4日の前夜に「キャンドルウォーク」というのがあり、ろうそくを持って、 ただ黙って歩く、という行事が行われます。この先生は毎年参加してるそうなのです が、今年はコンファレンスがシアトルであるため参加できないので、あなた達学生は ぜひ参加して欲しい、という意味でサンドラさんの話をされたのでしょう。残念なが らこの時期は毎年ファイナルの前の週です。ですから私は参加したことがないので す。あんまり理由になってませんねぇ。

図書館には「May 4th」の資料室があり、この事件について詳しく知ることができま す。また、この駐車場のすぐそばには記念稗があり、「Inquire, Learn, Reflect」 と刻まれています。これは、「この悲劇がどのようにして起こったのかということを 問い(Inquire)、春の日の暴力による死という見せしめを知り(Learn)、そして人 や、グループや、国家の間で起こる混乱を扱う方法をよく考えて(Reflect)くださ い」と言う意味です。

この事件は歴史の教科書にも登場する、非常に重要な事件となりました。私はKent で、しかもスピーチパソロジーを選んだことに、ちょっと運命的なものを感じます。 今回は湿っぽい話となりましたが、サンドラさんの分もがんばらないとな、と思う今 日この頃です。

#45. (2002年5月9日) ●学期末のプレゼンテーション

ご無沙汰してます、ども。何を隠そう、この4月から5月にかけて非常に忙しい日々を 送っており、日記を書く時間がありませんでした。で、ようやく学期末試験も終わ り、今日からは、な〜んにもすることがありません。というのは冗談で、また引越し をします。ルームメイト兼友達のルビーちゃんはこの度めでたく卒業します。卒業式 は今週の土曜日です。今日は台湾からご両親が来られることになっており、と言って も実は彼女のおねーさんがバージニアでこれまた勉強していて、先にそちらによって るので、時差ぼけとか、そう言うのはないでしょう。おかーさんには去年お会いした ことがあります。約1年ぶりの再会。土曜の卒業式はボーイフレンドと共に出席する ことになってます。

さてさて、私のこの最後の1ヶ月は地獄のようでした。ただ毎学期「今学期は今まで で一番苦じ〜ィ」と言ってるような気がします。実際にファイナルの週に試験を受け たのは一つだけだったのですが、ペーパーやテイクホームのテスト(家に持って帰っ てするテスト)、そして、先週はプレゼンテーションがあったのです。しかも、私た ちのグループはクラスの最初だったのです。これは私が「1番」のくじをひき、他の メンバーが、「初日の最初の時間!」と言ったので、そうなりました。でも、今思う と、一番でよかったです。このプレゼンテーションは一学期間かかって準備します。 毎週グループで集まって、ミーティング、そして最終の日に発表、というものです。 しかも、60分もあてがわれていて、私はその中でも重要な部分をしゃべらされること になり、しかも結論となる「締め」の言葉まで言わされたのです。私は、「もっと簡 単のんにしてぇ〜」と言ったのですが、「大丈夫、大丈夫」となだめすかされ、当日 となりました。前日にパワーポイント(プレゼンテーションソフト。以下PP)を使い ながら、グループで練習をしました。私は約15分しゃべることになっていたのです が、その練習だけでもものすごく緊張して、口がカラカラ、そのうちろれつが回らな くなり、さらに発音は悪くなるばかり。自分がネイティブのスピーカーだったら なぁ、と思う瞬間です。わたしはネイティブではないので、アドリブでしゃべったり するのは、緊張の極限のとき大変危険で、そんなことできるわけないので、暗記はで きなくても、それに近い状態でしゃべることに専念しました。時々でも観衆の顔を見 るのは大事ですからねぇ。苦手な単語にはアクセント記号をつけて、間違ったアクセ ントや発音をしないように気をつけました。何回練習したでしょう…。

日本の教育では余りプレゼンテーションというのは教えませんよね。だからわたしも すごく苦手で、日本語だとわりとぺらぺらしゃべるほうなんですが、英語となると、 やぱっり「発音が恥かしい」「しゃべるのが遅い」とか、そう言うのが弊害になりま す。でも、アメリカ人でも緊張するんだなぁというのが、先週よくわかりました。他 のグループの人ですが、平気でグループのメンバーの名前を間違えたり、汗たらたら かいたり…。メンバーの一人が「緊張する〜」というので、「私のこと考えてみて よ。英語はわたしの第一言語じゃないねんから」と言うと彼女は、「そんなのみんな わかってるわよ〜」という返事。そうか、考え方によると、間違って当たり前、とい うのが私にはあるな、とちょっと開き直った気分になりました。でも、「出番」近く になると、手が震えているのがわかりました。結果的に、「自分では完璧な」アメリ カ英語ですらすら発表しました。プレゼンテーションの後、他のメンバーにも誉めら れ、ほっとしました。

このプレゼンテーションは7グループから発表され、2日間に分けられます。私達はそ の初日の1番だったというわけです。先生だけでなく、学生も一人一人を評価しま す。ただ、自分たちの発表がある日は、人の評価どころではないので、自分達が見学 する日に発表する学生を評価します。昨日それがありました。試験は前の日に終わっ ていたし、余裕酌酌、ほんと、気分よかったです。このクラスは、この学期末のプレ ゼンテーションと、一回の中間試験で成績がつきます。だから、みんな必死でこの一 時間にかけるのです。

前から思っていたことで、このプレゼンテーションのあとにも再び確認したことがあ ります。みなさんは、アメリカ人ってみんなコンピューターが得意だと思っていませ んか?だって、多くのシステムやインターネットってアメリカで開発されているのも ですからねぇ。ところが、それは大きな間違いです。ルームメイトとボーイフレンド と私の間で話題になったのは、このプレゼンテーションで、未だに「OHP」(あの透 明のシートを使うやつです)を使っているグループがいる、ということです。最初の 私たちの発表の日は、3グループのうち、結局は私たちのグループのみがPPを使いま した。ボーイフレンド曰く、「まさか、画用紙に書いてきた人はいないよね?」。実 は、あったのです、そういうグループが。しかも手書き。信じられないです。私たち のグループは、実は私以外PPを使ったことがなくて、もう少しで画用紙発表になると ころでした。メンバーの一人に「私にとって」簡単な図を作ってあげると、いたく感 激し、感謝されました。まさかそこだけOHPは使えないですからね。結果的に7グルー プのうち3グループしかPPを使わなかったんです。ルームメイトも去年このクラスを 取っていて、1グループのみOHPだったそうです。なんという違い。しかもOHPだと、 文字が小さくて、一番前に座ってる私さえも読めないんですから、アピール力は半減 以上になくなります。OHPのシート作るのって高いんですよ。でもパソコン使えばた だですからね、しかもカラーだし。ワードで書いた文書をコピーアンドペーストして メールで送ることさえ知らない人はまだまだアメリカにたくさんいるんです。これも 去年、友達に教えてあげたら、すごく感激してました。

さ〜ていよいよ夏休みです。今回は夏に授業を取らずに、どこかで働こうかと思って ます。引越しもするし、いろいろ大変です(引越しは多分この夏2回あるでしょ う)。卒業式の様子、また書きます。