FLS オンライン留学

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2001年の5月から2003年の5月まで、丸々2年間、当時現役の留学生だったトシエさんが MIYACO に寄せて下さった日記です。当時から大分月日が経ちましたので、現在のアメリカ留学・生活事情にそぐわない箇所もありますが、当時の貴重な記録として、また、ひとつの読み物としてお楽しみ下さい。 【目次はこちらです】

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May 4th 事件

#46. (2002年05月10日)

あ~、暇です。ルームメイトとご両親は朝からどこかへ出かけてしまいました。私はこの1年間勉強ばかりしていて、ろくに好きな本も読めなかったので、図書館で「日本語」の本を借りてきて読んでいます。Kent に来て2年近く、前の学校でも1年半いたんですが、今回ぐらい日本語が読みたくなったときはありません。Kent の図書館には日本語の小説も置いています。今回初めてじっくり見てみたのですがかなり古いです。私が借りてきた本なんか昭和46年初刊ですからねぇ…。ページも茶色くなっていて、実は2ページほど、ちょっとですが破いてしまいました。すいません。多分の紙の古さでしょう。

ちょっとこれを機会にまじめな話を書きましょう。私の通う Kent State University はある意味で全米で大変有名な大学です。液晶研究の最高峰というのもあるのですが、歴史的な事件があった場所なのです。

1970年、その当時全米の学生の間で盛んであったベトナム戦争への反戦運動が、ここ Kent の学生の間でも盛んでした。この騒ぎを鎮圧するために Ohio 州軍 (National Guard) が送りこまれました。それでも騒ぎは治まらず、ついに28人の州軍兵は反戦を唱える学生たちに発砲したのです。13秒間の発砲だったそうです。5月4日 (May 4th) の正午を少し過ぎたころのことです。

この騒ぎはこの日を含め4日間にわたって繰り広げられ、8名の負傷者、1名の身体麻痺者、そして4名の死者を出し終焉しました。この悲劇のあった場所は "May 4th Memorial" (メイ・フォース・メモリアル)と同時に今は駐車場になっていますが、 彼ら4名がなくなった場所はその部分だけ各人の名が彫られた稗になっています。夜には稗の四方に電灯が灯されます。亡くなったり負傷した人は全てが反戦運動をしていた学生ではありません。中にはその場所を通ってクラスへ向かう人もいたのです。その中の1人、サンドラ・シューワーさんという当時大学3年生だった学生も流れ弾に当たって亡くなりました。実は彼女、私と同じスピーチパソロジーを勉強する学生だったのです。この話を聞いたのはつい最近のことです。先生の1人が、「彼女は私たちの仲間だったのよ」と話してくれました。全然知りませんでした。それを聞いてから、今まで以上にこの場所を通ると自然に涙ぐんでしまいます。私は歩いて帰るとき必ずこのサイトの横を通って帰ります。彼女もここが通り道だったんでしょうね。

毎年5月5日の前夜に「キャンドルウォーク」というのがあり、ろうそくを持ってただ黙って歩くという行事が行われます。この先生は毎年参加してるそうなのですが、今年はコンファレンスがシアトルであるため参加できないので、あなた達学生はぜひ参加して欲しいという意味でサンドラさんの話をされたのでしょう。残念ながらこの時期は毎年ファイナルの前の週です。ですから私は参加したことがないのです。あんまり理由になってませんねぇ。

図書館には "May 4th" の資料室があり、この事件について詳しく知ることができます。またこの駐車場のすぐそばには記念稗があり、"Inquire, Learn, Reflect" と刻まれています。これは、「この悲劇がどのようにして起こったのかということを問い(Inquire)、春の日の暴力による死という見せしめを知り(Learn)、そして人や、グループや、国家の間で起こる混乱を扱う方法をよく考えて(Reflect)ください」と言う意味です。

この事件は歴史の教科書にも登場する非常に重要な事件となりました。私は Kent で、しかもスピーチパソロジーを選んだことにちょっと運命的なものを感じます。今回は湿っぽい話となりましたが、サンドラさんの分もがんばらないとな、と思う今日この頃です。 【第47話へ】

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